マインドフルネスと私 その2

マインドフルネスが習慣になってから、自覚するようになったことがあります。「怒らなくなった」ことです。厳密には、怒らなくなったわけではなく、怒っていることを外側に表出しなくなったという方が適切かもしれません。しかし、怒りの感情を抑え込むようになったというわけではありません。少し距離を保って横に置いてあるというイメージです。

ところで、怒りの感情を噛みしめていると、その根底に、悲しさとか落胆といった感情があることに気づくことがあります。つまり、この時の怒りは、期待していたことが期待通りに運ばなかった、運べなかったことに対する“成就できなかった無念さ”の表れだと思うのです。このように、様々な感情が複雑に絡み合って怒りになっています。

また、怒りの感情を抱えているとき、イライラ状態になっていることにも気づきます。

この気づきこそ、“しめたもの”と捉えています。なぜならば、私は、イライラ状態時ほど、おっちょこちょいなことをしがちだとわかっているからです。例えば、料理中だったら、包丁で手を切りやすかったり、お皿を割りやすかったり。歩行中だったら、躓きやすい、ぶつかりやすいなど。それは、他者に対する言動にも言えます。ですから、「イライラしている」に気づけたら、いつも以上に、今やっていることに慎重に取り組もうとします。“気をつけよう”です。

そして、怒りが強い時に少し間をおいて、マインドフルネスをやることもありますし、マインドフルネスをすることで、自分が強い怒りの感情をもっていることに気づくこともあります。いずれの時も、次のようにしています。怒っていることをたっぷり感じて、横にそっと置いておきます。怒るに至った原因をみつけだそうとか、解消・解決方法を探そうとかは決してしません。ただ、今やるべきことに全力で一心不乱に取り組むようにします。心を入れて身を入れて、むしろ普段よりももっと丁寧に間違えないように。やるべきことをやり終えた時、怒りが消えているわけではありませんが、ビフォア・アフターを比較すると、必ず変わっています。鎮まっているのです。この流れをつくることによって、後先考えずに言動することを回避でき、ひいては余計な疲労から免れるというメリットを得られるのです。

怒りを感じることは決して悪いことではなく、場合によっては当たり前のことでもあると思います。しかし、怒りの感情も、イライラ状態も、心身を疲弊させます。振り回されずに過ごせたら、それに越したことはないように思います。

しばらく続けているマインドフルネスの効能を、このように実感していることもあって、今では、毎日マインドフルネスの時間をとって行うことを楽しみに感じるようになっています。