羽目を外す
「羽目を外す」という慣用句は、何やら聞こえが悪い。暴れまわってみたり、物を壊してみたり、大声で叫んでみたり。こんな発想をしてしまうのは、私くらいなものかしら。
ある日突然、「羽目を外したい」と呟いたのです。自然と口からでました。独り言なのですが。
このところ、妙に、規則正しい生活リズムで、決めた物事をきっちりこなし、心身を惜しむことなく「今」に全力投球している、そんなつもりの日々を過ごしていた(つもり)になっているのです。
そんな毎日に息がつまってきた、わけではないのですが、ふと、羽目を外してみたい、という言葉がこぼれました。軌道からはずれる、または、脱線してみる、そんな感じです。つらつら考えると、毎日に感動が足りていないんだ、だから何かに感動したい!ということかもしれないと気づきました。
できれば、考える間もなく、行動してしまえれば本望だったのですが、そうはいかず、何をして羽目を外したい? とか、どうすれば羽目を外せる?などと、考えこんでしまったのです。
要は、いつもではない、非日常の時間を過ごしてみたいな、そこで心が動いている自分を感じてみたいな、程度の欲求にすぎないのです。
やってみようかと思いつくことは意外にありきたりなことばかり。少しも目新しさとか、ドキドキ感とかなくて、思えば、若かりし頃に、しょっちゅうやっていたことばかりでした(ということは、私の若い頃は、羽目を外してばかりいたということ?)
熟考するようなことではないのではないか、と思いつつも、何かと計画を立てたがる・準備していないと不安になってしまう性格です。
さて、「羽目外し」計画を開始します。非日常に身を置いて、非日常の時の流れを感じる、そして、充実感や幸せ感を謳歌してリフレッシュしよう、などと、羽目を外せない思考の中にいる自分を感じています。