心の曇天日

今日は秋晴れ、小春日和、外出にもってこいの陽気です。

こういう日には、以前、不意打ち的に心にダメージを受けたことを思い出します。

ある会合で知人と二言三言会話した後、その人にどうしても伝えなければならないことが生じ、その人の家を訪ねたところ、顔を合わせたくない口も聞きたくないという拒絶するメッセージが返ってきました。それは、私が玄関をノックし名乗ると、数秒たってドアこしに「要件は何?」と冷たい返事が返ってきて、要件を伝えと、一言返答を言い放ち、同時に、ほんの少し開いていた扉を内側からバタンと大きな音をたてて閉めて、内鍵をバシッとかける対応でした。

その時の私は、グーで殴られたのと同じ位の、驚きと痛みに、その場に立ち尽くしていました。呼吸が浅くなっていることに気づいたので、深呼吸をし、気持ちを落ち着かせようとしましたが、直ぐには上手くいきませんでした。

少し落ち着きが戻ってきた頃、私は、何が起きたのかを考えようと、数分前の会話の内容やそれがどんな状況での会話だったかを懸命に思い出して、次に、私の発したどの言葉が原因だったか?なぜ? なぜ? なぜ? と私の記憶と思考がぐるぐるしだしました。その次に、自分の心の状態を見つめようとしました。上手く表現できないけれど、「痛い」のです。とにかく「心が痛い」のです。

その日のうちに、カウンセラーに話をする機会を得ました。黙っていられず、繰り返し出る溜息と心のしんどさを思いのたけ吐露し、ひたすら聴いてもらいました。当時の、そしてその時の、状況と心の叫びが、水がスポンジに吸い込まれるようにカウンセラーの元へ流れ込む様、そう、受容されていることに、安堵感と自己を否定する思考から解放されるのを感じました。

受けた出来事によって私はひどく傷ついている・相手に対する怒りを感じているという、自分の心の状態を温かく受け止めてもらって、こうした心の状態にあることは当然のことだということに共感してもらっている、これに勝る処方はありませんでした。

翌日、外は秋晴れ、私は、目覚め悪く、起床と同時に溜息。心はジメジメの梅雨時の重い曇り空そのものでした。そのような中、思案しました。今日一日、家の中で昨日の出来事を思い出してうつうつと過ごすという選択肢もある。一方、日光浴しながらウォーキングして、雲や花々を写真撮影したり、ゆっくり入浴したりして過ごしてみるという選択肢だってある。いずれを選択したって、事態は変わらない、同じなのだ。

決め手になったのは、状況をくみ取ったうえでカウンセラーが発した、相手がどう受け止めたかという「相手の問題」なのだ、という言葉でした。

結局、後者の過ごし方を選択しました。「私は、傷に薬を塗って絆創膏貼って、きっと直ぐに治癒するから大丈夫」そうしようと思いました。カウンセラーさん、ありがとう。

 秋晴れの日には、ふとしたことで、このことを思い出します。今の私につながる大きな出来事のひとつだと思っています。

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