手紙

受けとることが余りなくなってしまいました。様々なお店から届くハガキのことではありません。知人・友人から届く書状のことです。そういう私自身も、年賀状を除くと、手紙を書くのは年に2回ほどになってしまっています。2回の内訳は、親しくお付き合いいただいている母代わりともいえるおばさまへしたためる母の日カードと、長い付き合いの友人宛の暑中見舞い。

もともと、筆まめではあります。そして、もともと機械に対する苦手意識があります。だから、多くの人が主な連絡をメールでやりとりするようになっても、頑固に書面で連絡をしていました。しかし、年月が経つにつれて、私も、便箋&封筒の長い手紙から葉書サイズの短いお便りに変わっていき、手紙を出した相手からはメールで返事がくるようになってきました。そしてついに私も、友達仲間宛ての連絡は一人一人への葉書から一斉メールへと変更しました。

それでも、どうしても「手書き」で伝えたい気持ちを捨てきれずに、母の日カードと暑中見舞いは、欠かさず書いています。ただ、受け取った相手も、新鮮さが徐々に戸惑いに変わり、迷惑にもなっているのではないかと勝手に推測しているこの頃です。

個人的に、手紙が好きなのです。相手を想像しながら便箋・葉書選びから始まって、季語を考え、用件の前後に余計な挨拶やしめくくりの文言を挿入したりするところに、気持ちをこめることができると感じます。多くの時、伝えたかった内容はちょっと違うとか、もっと適切な表現がありそうな気がしたりして、書き直します。ここまでのプロセスは、メールであろうと手紙であろうと何ら変わらないのだけれども(メールの場合、挨拶やしめくくりの文言は省くことが多い)、仕上げの清書は手書きだということが、手紙なのです。清書で書き間違いをしてしまうと、ホワイトを使おうか、最初から書き直そうか相当悩んだ末、たいていの場合、最初から書き直しています。書き終えて、切手を貼ると、投函を忘れていつまでもバッグの中に入れたままになることを避けるためにも、すぐにポストへ投函するようにしています。届けたい気持ちが鮮度高いうちに送りたい。投函後に返事を待つのがまた楽しい。手紙の返事を受け取った時の喜びは大変なものですが、たとえ一行だけのメールの返事であったとしても、手紙に託した気持ちを察してくださっている気持ちが返ってきているように思えます。

何もかも、気のせいかもしれません。もしかしたら、相手は、手紙であれメールであれ、そう気にかけていないのかもしれませんが・・・・

文具店に行って、美しい、あるいは可愛いレターセットを見かけると、あれもこれもとつい買ってしまいます。そして、そのほとんどがデスクの引き出しに眠っています。

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