エレベーターを待っている「ちょっとした時間」

みなさん、誰かの一言がずーと残っていることはありませんか。私の中で、数十年前に読んだ新聞のコラム欄が不思議なくらい残っているのです。 コラムの内容は、エレベーターが来るのを待っている時、ボタンを既に押してあるのに頻繁に押している人がいる。しかし、その行為でエレベーターがスピードを速めることはない。直ぐに来ない事にイライラしているようだ。ちょっとした時間も待てないでいる。毎日が忙し過ぎるのである。忙し過ぎると、心がなくなることにつながります。せめて、エレベーターが来るちょっとした時間で、自分のことをふりかえってはどうでしょうか? エレベーターの前に立つと、この言葉が頭の中でテープが再生されるように流れる時があります。ああ、今は忙し過ぎるんだ。せめて待っているこの時間だけでも、ゆっくりしようと思ったりしています。 こういう頭の中でテープが再生されることについて意識するようになったきっかけは、我が恩師の「セルフサイエンス」という講座を受けてからです。講座の中で話された「頭の中でテープが再生されるように」という言葉が、妙に私の中に残り、意識化されるようになりました。セルフサイエンスの内容とは別に、私がそこで聞いたフレーズに影響されて、意識化するようになったのだと思います。最近は、「録音テープが再生」というより「映像」「動画」として出てくる人が多いのだろうなと思いつつ、アナログが好きな自分を感じています。